酸素がたりない
早朝便でボリビア・ラパスに到着した。道端にマーケットは原色のフルーツや野菜、香辛料が並んでいて鮮やかだ。
ジャガイモ、トマト、トウモロコシ、トウガラシ……どれもラテンアメリカが原産。大航海時代以降、何世紀もかけて商人や旅人の手を渡って、ヨーロッパ、アジア、そして日本にもやってきたと思うと感慨深い。カラフルでなんだか目がチカチカする…
目がチカチカするだけじゃない、心臓もドキドキするし、頭もフラフラする。じつはラパスは標高3600メートルと富士山の山頂に近い。この時、自分も友人もとっくに高山病にかかっていた。初日に取った日系人のホテルの主人から「お前ら初日からそんなに動かないほうがいい」と言われ、部屋に戻ってじっとすることにした。
散策をやめてベッドに倒れこみ、そのまま身動きがとれなくなった。自分たちが南米を訪ねた当時、マチュピチュ・ウユニ塩湖ブームで、ボリビアとペルーは日本人大学生にとってのゴールデンルートになっていた。後で分かったことだが、本来は標高の低いペルーの首都リマからスタートし、少しずつ標高をあげてボリビア・ラパスからアウトするルートがメジャーだったらしい。我々は逆コースを進んでしまい、まんまと高山病に倒れたのだった。
食欲もわかないし、12時間の時差で眠りも浅い。トイレで吐こうにも何も出てこない。もはや謎の修行と化し、ホテル一室が「精神と時の部屋」になっていた。友人は再び「だめだこりゃ」と発し、ホテル主人に頼んで日本食を出してもらった。梅干しとお茶漬けを食べて、またベッドで横になる。自分もひと口、ふた口もらった。一晩寝て、どうにか立ち上がれるまで回復した。
翌朝の朝食。日本を発って3日足らずだが、白いごはん、お味噌汁、たくあん、鮭、卵焼き、すべてが懐かしい。日本食をにこれほど感激したことがあっただろうか。いずれの食材も、日系人が現地で生産しているものらしい。この後2週間近い旅程で、何度も日系人経営の日本食レストランに寄ることになるのであった。
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