大空輸の舞台地へ
【出典】https://www.s-bahn-berlin.de/pdf/VBB-Liniennetz.pdf
ドイツ3日目の夕方、世界史の教科書に出てくるこの写真の場所に。
ドイツ3日目の夕方、世界史の教科書に出てくるこの写真の場所に。
【出典】https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Germans-airlift-1948.jpg
チェックポイントチャーリー見学後に、そのままUバーン6号線に乗って南下。ベルリン南部にある旧テンペルホーフ空港(Flughafen Berlin-Tempelhof)へ。大きな施設なので、地下鉄3駅分ある(北海道大学のキャンパスみたい)が、空港施設の外観が見たかったので、Platz der luftbrücke駅で降りた。
階段をあがってすぐ見える。。もともとここが空港だったことが分かる看板などが、まだ残っている
映画だと「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」で飛行船が離陸するシーン、「ブリッジ・オブ・スパイ」で米弁護士ドノヴァン(トムハンクス)が帰国する飛行機に乗るシーンなどで出てくる。ドキュメンタリーではNHKスペシャル「映像の世紀」の第8回「恐怖の中の平和」で紹介される。
現地の案内板などによると、もともとあった飛行場を、ヒトラーが1941年、首都ゲルマニア建設の一環で、当時の需要の30倍の大きさで作らせたという。戦後、米英仏ソで管理していたドイツの内、西側の一方的な通貨改革の報復措置として、ソ連は西ベルリンにつながる陸路やインフラを封鎖した(ベルリン封鎖)。西ベルリンに住む市民を援助するため、米側が空路で物資を届ける際に舞台となったのがこの空港だった。
空輸は24時間体制、3分間隔で行われ、ソ連側が許可した航路(回廊)を使って効率的に物資を運ぶため、滑走路の着陸のチャンスは1回、失敗するとそのまま積載地に戻る仕組みだったという。暗くて物騒だったので近づけなかったが、ベルリン空輸のモニュメントも残っている。
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