映画「KANO」の舞台を見に台湾へ



映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」を見た。台湾が日本統治下にあった当時、台湾の嘉義農林学校に日本人のスパルタ監督(近藤兵太郎)が赴任して、弱小だった野球部が2年後に夏の甲子園で決勝まで上り詰めるまでのストーリーを描いている。もともと、実話をベースにした映画を見て、伝記を読んだり現地に赴いたりするのが好きで、2015年冬に台湾中部の嘉義に行ってみることにした。




台北駅を朝9時すぎに出発。実は台湾の高速鉄道に乗るのも初めてで、それも含めてちょっとテンションが上がっていた。東海道新幹線の700系をベースにしているこの車両、乗ってみると…



通路を挟んで2+2シートなので、日本の3+2シートよりもゆとりがあるように感じられる。そのほかは、ほとんど新幹線と変わらない雰囲気で、台北駅を出て20分ほどで田園が広がるので、なんだか新横浜から小田原のあたりを走っているような錯覚におちいる。



高速鉄道の嘉義駅は、市街地より少し外れた場所にあるらしく、バスに30分ほど揺られて市内に移動する。映画「KANO」が台湾では大ヒットしたらしく、観光ブームも起きたらしい。



嘉義中心部でバスを乗り換え、農林学校があった辺りに足を運んでみると、



嘉義農林学校があった周辺の散歩道が整備されていて「KANO歩道」というのができていた。



統治時代に日本人が住んでいた宿舎も再現されていて、中は資料館になっていた。



この施設自体は、日本の地方都市にあるような資料館とあまり変わらず。基本的にはグッズが置かれている。



本当に「甲子園」なんて筆で書いていたんだろうか?というところは怪しい。


KANO歩道には、嘉義農林に関する歴史が記されたパネルが数十メートルおきに並んでいて、読むだけで楽しい。漢字でなんとなく意味が分かるのと、ぎこちない日本語でそれとなく伝わってくる。


甲子園決勝戦はラジオで中継されたらしい。映画内でも、嘉義駅前の広場で、市民らがパブリックビューイングのようにして歓喜するシーンが再現されていた。



かつて嘉義農林学校があった場所は、現在は別の学校として使われている。校内にも、当時の名残になるものは残っていないようだった。(警備員さんに説明したら中に入れてくれた)



嘉義農林のあった近くには、生徒たちが練習していた野球場があり、その近くにバットを模したモニュメントがたてられていた。映画の予告編がYoutubeにあったのでぜひ一度。

Where the hell is Taro?

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Taro

1989年生まれ。在京メディアで近畿→北関東→東京で記者。転職して現在は別業界に。フットワークは軽いほうで、休日はカメラを携えて旅に出ます。海外は20カ国以上。屋台で怪しいもの食べてたまにお腹壊したりします。最近ペンを握っていないのでボケ防止に書きます。コンテンツと現在の所属等は関係ないです。